RYOにとって
久しぶりのブログなのですが、RYO
の病気のこと、考えてたこと、自分の思いを書こうかなって。 だから、確実に楽しく明るい内容ではありません
。
今年の6月からの半年間は 「絶望」 からなんとか這いあがることを望みました。
RYO
の恐怖と不安と苦しみを、なんとか少しでも和らげてあげたい。
病気に早く気付いてあげられなかった わたし。
代わりになってあげられない わたし。
これからも続く 不安・・・ RYOの心の中でRYOを苦しめないでほしい。
病院を転院するにとき考えたのは、
RYOにとっての良い主治医とはどんな先生なのかということ。
前のW先生は、とても優しく 「できることを見つけて行こう」 といった。
体育祭の綱引きも、自転車通学も、もちろん勉強もだ。 その時はいろいろなこと出来るんだと嬉しかった。
転院先のT先生は、こちらも優しくだけど 「無理してはダメ」といった。
学校も休みなさい、学校に行ってるだけで疲れるでしょう。 あれこれダメではないけれど、してはいけないことを言ってくれる。
RYO
にとってはダメダメよりイイよといって貰えた方が楽かもしれない。 でも、私はいまの我慢が10年後20年後・・・につながるような気がした。 そして 転院を決めた。


今年の6月からの半年間は 「絶望」 からなんとか這いあがることを望みました。
RYO

病気に早く気付いてあげられなかった わたし。
代わりになってあげられない わたし。
これからも続く 不安・・・ RYOの心の中でRYOを苦しめないでほしい。
病院を転院するにとき考えたのは、
RYOにとっての良い主治医とはどんな先生なのかということ。
前のW先生は、とても優しく 「できることを見つけて行こう」 といった。
体育祭の綱引きも、自転車通学も、もちろん勉強もだ。 その時はいろいろなこと出来るんだと嬉しかった。
転院先のT先生は、こちらも優しくだけど 「無理してはダメ」といった。
学校も休みなさい、学校に行ってるだけで疲れるでしょう。 あれこれダメではないけれど、してはいけないことを言ってくれる。
RYO

by cokokurumi
| 2012-12-23 11:09
| 病院
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